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08シーズン よんななマガジン

三浦雄一郎が語る、白馬のスキー

プロスキーヤー・登山家 三浦雄一郎 × Hakuba47代表取締役社長 荒木貞光

三浦雄一郎が語る、白馬のスキー

山が教えてくれた冒険心

──三浦さんは白馬47にはもう何回も来られているそうですね。

三浦雄一郎氏(以下三浦) はい、もう何回も。大好きなスキー場です。荒木貞光氏(以下荒木) ようこそおいでくださいました。昨年もシニア倶楽部に来てレッスンをしていただきました。今シーズンで2回目ですね。

──さて、三浦さんはプロスキーヤー・冒険家として世界で活躍されており、70歳を越えてなお、チャレンジする姿に励まされる方々はたくさんいらっしゃいます。三浦さんの冒険心というのはどのように育まれてきたのでしょうか。荒木 青春時代からどう変わってきたのかもお聞きしたいですね。

三浦 〝冒険心〟という意味では年齢ではまったく変わりませんね。ただ、子どもの頃は病気もしたし、あまり丈夫じゃなかった。でも、親に連れられて蔵王に行ったことや、東北大学山岳部の頃、スキー合宿で蔵王から仙台まで縦走したこと。そんな山とのつきあいで心身共にずいぶん鍛えられましたね。

──三浦さんは生まれた時から冒険家じゃなかったのですね。山の環境に心が鍛えられ、冒険心が育ったという感じでしょうか。

三浦 そうだね。美しい樹氷原などの冬山の大自然に浸ると、学校の教室なんて小さく見えてくる。なんでもないことにクヨクヨしているのが馬鹿らしくなります。俺にはあの素晴らしい雪山の世界がある、ということが大きな自信に繋がりましたね。

荒木 自然の山は心を広げてくれるということですね。いじめや不登校などに悩む子どもさんにもスキーや山登りを通じて、自然の豊かさや包容力を感じてもらいたいものですね。

3度目のエベレスト挑戦へ

荒木 そういえば三浦さんは今年3度目のエベレスト登頂に挑戦するそうですね。

三浦 1969 年にエベレスト滑降を試み、2003年の70歳の時に息子と登頂しました。確かに挑戦は今年で3回目になります。ピークを目指すという目標があると、普段の生活がまったく変わりますね。

荒木 チャレンジ精神が湧き続けているのはすごいことですね。

──荒木さんもチャレンジャーです。世界に誇れるスキー場を日々成長させ続けています。

三浦 肉体は鍛えればある程度頑張れます。しかし事業となるといろいろ難しい。しかもスキーリゾートビジネスは世の中で一番難しい事ですよ。ここのように世界でもトップクラスの山岳地帯の中で、レジャーはもちろん交通設計から防災までを組み立てるのは大変なプロジェクトです。

──世界のスキーリゾートを滑ってこられた三浦さんがご覧になっても、白馬はトップクラスの山岳リゾートなのですか。

三浦 はい。世界トップクラスですね。ヨーロッパアルプスや南極レベルと比べてみても、白馬三山から日本アルプスと呼ばれる山の情景は、四季を通じて素晴らしい。

三浦 雄一郎 みうら ゆういちろう

青森県青森市に生まれ、北海道大学獣医学部に助手として勤務後、1960年代からプロスキーヤーとして活躍。富士山直滑降やエベレストの8000m地点からの滑降など世界七大陸最高峰からの滑降を達成し、2003年5月22日には世界最高峰のエベレストに世界最高齢となる70歳7カ月での登頂を果たす。山岳スキー界の生ける伝説ともいえる人物。

荒木貞光 あらき さだみつ

学習院大学政経学部を卒業後、藤田観光(株)に入社。我が国初の会員制ホテルシステムFGMの営業企画に携わる。その後、斑尾高原スキー場の企画立案・設計を行ない、1972年3月には開発責任者として斑尾に赴任。1982年、斑尾高原開発( 株)を退職し、スキーリゾートのコンサルタント会社 (有)A.D.C.を設立、様々なスキー場の開発やリニューアルのコンサルティングを実施する。1997年9月より「滑り(技術)で勝てないなら、お客さまを滑らせてあげる事(ホスピタリティ)で勝とう!」を合言葉に、Hakuba47の代表取締役社長を務める。



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