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09シーズン よんななマガジン発行

特別対談これからのスノーリゾート、これからの白馬

全日本スキー選手権三冠王 丸山仁也 × Hakuba47 代表取締役社長荒木貞光

ジュニアの育成、シニアの活用
特別対談これからのスノーリゾート、これからの白馬

――選手として輝かしい経歴を持つ丸山さんは、現在のスキーの状況をどう思われますか。

丸山仁也氏(以下丸山) スキーを活性化するには、選手の育成がひとつのテーマですね。ヨーロッパのスキー場の子供たちは、世界のトップレベルを身近に見ながら育っていく。だから、高度なスキーテクニックに対するイメージが鮮明にあって、練習を重ねることでそれを身につけていく。逆に、そういうものを生で見ていない日本の子供は頭で理解したつもりでもなかなか身につかない。Hakuba47や八方尾根でトップレーサーを抱え、ここへ来たらいつでも本物が見られるようにするだけで、ずいぶん違うはずです。

荒木貞光氏(以下荒木) トップレーサーを目のあたりにするということでは、白馬ほど最適なエリアはありませんね。米国では、オリンピック選手のようなトップレーサーを「スキー大使」として町で抱えているところもあります。日本でもそうしたことをしないと、スキーはいつまでたっても日の目を見ません。なにより、スキーに対する夢を作らなくちゃいけない。たとえばスキー場事業者から寄付を募って賞金を出せば、高額賞金獲得のプロスキーヤーが誕生する。石川遼がプロゴルファーとしてお金が稼げるというのと同 じ土俵にしてあげないと、というようなことです。

丸山 八方には全日本スキー連盟の教育部のOBが結構いて、白馬スキー同好会を作っています。丸山庄司、丸山周司、三枝兼径などビッグネームも多く、顔写真入りのシーズンパスを出しています。お客さんと一緒に滑ったり、飲んでしゃべったり、愉しい時間を作っていくボランティアをやって欲しいという思いからです。ジュニアにとっては一流の滑りを目にする機会になるし、一度スキーからリタイアしてまた始めるようなシニアにとっては憧れのスキーヤーに出会えるのはすごくうれしいことです。お客さんとの新しい関係ができ、集客性、話題性が高まる。彼らの価値を個人のものにしておくのではなくて、スキー場経営に役立てようというわけです。ところが、今はまだ、シーズンパスを出すのにさえ彼らだけ優遇していると異論が出る始末ですから、困ったものです。

荒木 キラ星のような大先生方に、昔のオリンピックのユニフォームなどお宝を見せてもらうのも面白い。小布施町の美術館巡りならぬ白馬のスキー資料館巡りという楽しみ方です。あるいは大使としてよそへ行ってスキーの話をしてもらうのもいいですね。

丸山 講演ということで、ネットや雑誌など媒体を介さない「本当の話」をしてもらうのはいいね。ただ、OB自身が俺は過去の人と思い込み、しかも地域の人はOBの価値を「隣のおじさん」レベルにしか評価していないという問題もある。地域の外の人たちはその価値を認めているのだから、キラ星OBたちの価値をまずは本人と地域の人に認識してもらうことから始めないといけない。

丸山仁也 まるやま ひとなり

八方尾根開発(株)前代表取締役社長。
1942年4月21日生まれ。1965 年に慶応義塾大学を卒業後、西沢スキーに入社。1967年、地元白馬村で行われた、全日本スキー選手権大会アルペン競技にて、滑降・回転・大回転の三冠王獲得という、前人未到の偉業を達成し、翌1968年に、グルノーブルオリンピック(フランス)に滑降競技で参加。1986年に設立した、マルススキープランニング(株)では、スキー場開発、人口降雪機の輸入、販売をはじめ、ガーラ湯沢開発、キューピットバレー開発、芸北スキー場リニューアルなどの事業を展開し、スキー場開発などに尽力する。1983年、国際スキー連盟技術代表資格(TD)取得後は、数々の国際大会でTDを努め、長野オリンピックアルペン男子の競技委員長、オリンピック終了後長野県スキー連盟副会長などの要職を歴任したスキー界の重鎮。

荒木貞光 あらき さだみつ

学習院大学政経学部を卒業後、藤田観光(株)に入社。我が国初の会員制ホテルシステムFGMの営業企画に携わる。その後、斑尾高原スキー場の企画立案・設計を行ない、1972年3月には開発責任者として斑尾に赴任。1982年、斑尾高原開発(株)を退職し、スキーリゾートのコンサルタント会社(有)A.D.C.を設立、様々なスキー場の開発やリニューアルのコンサルティングを実施する。1997年9月より「滑り(技術)で勝てないなら、お客さまを滑らせてあげる事(ホスピタリティ)で勝とう!」を合言葉に、Hakuba47の代表取締役社長を務める。



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